上山春平(1921-2012)は戦後日本を代表する哲学者の一人であり、独自の歴史学方法論・国家論・憲法論・日本論を展開した他、仏教思想や西田幾多郎の現代哲学的解釈を試みたことでも知られている。特に西田解釈では、成功はしなかったものの、プラグマティズムや記号論理学の素養を背景に、「場所の論理」の現代論理学的な再構築にも挑戦した。その意味で、上山は、不発に終わったものの、分析アジア哲学のパイオニアの一人とも言いうる存在である。

上山春平はまた、20世紀の激動の現代史とリンクした興味深い経歴の持ち主でもある。彼は日本の植民地統治下の台湾で生まれ、京都帝国大学で京都学派を代表する哲学者の一人である田邊元の下で哲学を学び、学徒出陣兵として第二次大戦に従軍した。戦争中、彼は、海軍の特攻兵器である「回天」の操縦士として二度の特攻出撃を経験するも、九死に一生を得て生還している。

その後、上山は、日本の敗戦と連合軍による日本の占領、憲法改正を巡る議論の沸騰、新憲法の制定、東西冷戦の開始といった時代のるつぼの中で、その都度の情勢に敏感に反応し、独自の憲法案を起草する一方、戦後憲法とその平和主義を擁護する議論を展開していく。

このような戦中から戦後にかけての若き上山の思想変遷を示す貴重な手稿類は、上山本人によって整理・保存されており、その一部は、京都大学研究資源アーカイブで「上山春平研究資料」として公開されている。

以下に掲載するのは、上山の従軍中の日誌類である。これらの記録を読むと、上山が戦意旺盛で有能な士官であったことが分かる。終戦直後の記述には、「回天」の米軍接収を未然に防ぐため、「回天」とともに自決する覚悟をほのめかしている箇所すら見受けられる。一方、これらの日誌からは、血気盛んな若き海軍士官の心が徐々に「武装解除」されていく生々しいプロセスを読み取ることもできるのである。

回天特別攻撃隊多聞隊行動日誌1
回天特別攻撃隊多聞隊行動日誌2
回天特別攻撃隊多聞隊行動日誌3
回天特別攻撃隊多聞隊行動日誌4
回天特別攻撃隊多聞隊行動日誌5
回天特別攻撃隊多聞隊行動日誌6
轟隊木原隊行動日誌並二所見1
轟隊木原隊行動日誌並二所見2
轟隊木原隊行動日誌並二所見3
轟隊木原隊行動日誌並二所見4
轟隊木原隊行動日誌並二所見5
轟隊木原隊行動日誌並二所見6
轟隊木原隊行動日誌並二所見7